表歴史を勉強するのは無駄な事か?

表歴史を勉強するのは無駄な事か??? ─ Is it waste of time to study official history? ─ 表歴史、つまり「学校で教えられる歴史」を勉強するのは無駄な事なのか??? これについては、以前の世界情勢であったなら、 「まずは表歴史をトコトン勉強し、学校を卒業してから裏歴史を勉強すべし」 と言ったであろう。真実の裏歴史情報は、表歴史の記憶の障害となるためである。 しかし、ここのところ裏支配者たちが慌てふためいて、 この世の中を自分たちの思い通りに改変しようという勢いが 非常に強くなってきた現在においては、 「まずは裏歴史をトコトン独学すべし!でも学校の授業も大切である!」 と言いたい。表歴史→裏歴史の順番では「期限」に間に合わないからである。  しかし裏歴史とは混然とした断片的な情報が多く、体系化されていないため混乱してしまう。 やはり表歴史という体系化済みの情報を基礎として頭に叩き込んでおく必要がある。 つまり裏表の並列学習!となる。 (表歴史を一つ一つ記憶した後に裏歴史で一つ一つ検証していく順序の方が安全であろう) 学校の授業に登場する歴史とは「勝者が書いた歴史」に過ぎず、 内容が歪曲改変されていたり、肝心な部分を消去してあるので、 実生活(世界情勢把握→生活防衛)にはアマリ役に立たない。 特に日本は「敗戦国」なので戦後好き勝手に情報操作されている。 しかし、そんなデタラメ(^^)な歴史であっても、 「歴史を並列的に把握し記憶する」という手法を長く続けていけば、 隠された裏の歴史が徐々に浮かび上がってくる(時が来る)ものなのである。 例えば、日本の歴史と外国の歴史との、並列的な相関関係に着目し記憶していくのである。 私は「地理的に離れた2つの場所における歴史の相関関係」 等といった内容の設問が非常に苦手だったので、 それ専門に整理・記憶する時間を大幅に増やし、試験に臨んだものである。 (以前は歴史を常に単視眼でしか捉えていなかった…) 幾つかの地域の大まかな歴史年表を自分で作り、 ・二つの歴史年表を見比べながら記憶する、 ・2つの地域の年月が完全に並ぶ様に歴史年表を「手書きで」何度も作り直す ・互いの歴史年表に、別地域の歴史事項を「手書きで」書き入れる、 ・教科書にも、その時代における別地域の歴史事項を「手書きで」書き入れる、 などなど、、、 ※絶対定理:作業が面倒臭ければ面倒臭い程、脳に強力に記憶される こうやって歴史を並列的に理解していくと、どこそこで起きた事件が、その後、 別の地域に、どの様な影響を及ぼしていったのかが、徐々に理解できる様になっていく。 基本、歴史とは「記憶のみ」の教科なので、歴史の授業など完全に無視! 自分で作った自作教材を眺めながら自分(ブッ倒れる位)のペースで記憶していった。 だからキリスト教やイスラム教などの陳腐さに気付く事は容易であった。 一切裏情報が入手できなかった学生時代から 「この世は全く信用に値しないものだったのだ」という事に気付けたのも、 この「並列理解学習」の成果かもしれない。 ※※※※※※※※※※※※※※※※※※  ところで「学習」とは何も学校や入試や資格試験だけではない。 どんな分野でもいいからトコトン調べ尽くす! そういう癖を付けていれば、どこからでも真実に辿り付ける。 例えばアイドルやミュージシャンについてトコトン調べ尽くせば、  日本国内外の裏社会の構成が見えてくるし、 ワインについてトコトン調べ尽くせば、  ワイン虚偽ヒエラルキーを作った組織の存在にブチ当たる事になるだろう。  記憶していけばいく程に、何十万円もする格付け構造の異様さに疑問を持つ筈なのである。  →お陰様で「断酒成功」の特別付録付き!(^^)! 健康についてトコトン調べ尽くせば、  表向きの健康情報の嘘や、フィットネス業界の収益拡大手法、  実際に効果のある民間療法を本気で弾圧している組織の存在、  製薬会社の薬害に関する闇歴史などについての情報が、  それこそワンサカ・ワンサカ出てくる。 もしアナタが「愚かにも」野球やサッカー愛好家であれば、  そのスポーツの国内外の歴史や経緯や現状についてトコトン調べ尽くせば、  私が何故「球技は今すぐ止めろ止めさせろっ!!!」と言うのか、  その意味がわかるであろう。  何事も自分自身で探し当てた真実でなければ本当に納得などできない。 ただし殆どの「普通の」ひとは、その「トコトン調べ尽くす」作業が、 途中で面倒になって止めてしまうのであろう。 これ程までに知識欲を掻き立てるワクワクする作業は無いというのに… 「トコトン調べ尽くす」→判断については保留にしておく→「トコトン調べ尽くす」の繰り返し… その「面倒くさい」が積もりに積もって、自分の命どころか、 自分の子供や孫の命まで危険に晒す事になろうとは、・・・ あの頃のアナタは気付いていたであろうか??? 「続く」 追記:「体を酷使する根性と脳を酷使する根性とは少し種類が違う」 ・運動神経ゼロの人物が東大に合格する事はよくある事だが何故か??? ・スポーツ選手には世間知らずな人物が多い→自分の専門分野の事しか考えてこなかった: 例えばテニスなどは個人間の駆け引きで脳を酷使する。 スポーツや武闘や舞踊は瞬間的な判断能力が鍛えられる。 それはそれで人生にとって必要な能力である。  しかし学習とはそういうものとは少し違う。 「長い積み重ね」「長期記憶」「長期計画性」「忍耐力」 「分析能力」「自主的自己管理能力」「広範囲な分野への知識獲得欲」  などが求められる。 「体を酷使する事に耐える根性」と「脳を酷使する事に耐える根性」と、 どちらか片方だけでも生きていく事は可能であろうが、 殆どの場合それは不完全な人格が形成されてしまうだけである。 ・「脳を酷使する根性」しか持っていない人物はすぐに(肉体的に)楽をする方法を選択してしまう。 ・「体を酷使する根性」しか持っていない人物は、複雑で統括的長期的な思考から逃げようとしてしまう。  →どちらも「悪」であり文明崩壊に加担する(自殺)行為である 真に人生の勝者となるには、この両方の「根性」を獲得しておく必要があるっ!!! 追記:「面倒くさい」に加え、 「恐れ多い」という心の動きがあるから厄介である: 「恐れ多い」から「思考停止」へと至る心の動きについて説明してみよう: 実は、常に我が道を行く派の私でも卒業後にキリスト教の真実を調べる事については、 「この俺如きが」「トンデモない事だ」「バチ当たりだ」「恐れ多い」… と、ずっとずっと調査を保留にしていたのである。(じつに25年以上も…) あの25年間の私は、完全に思考停止し社会に迎合していた愚かな時代であった。  でも42〜43才:日本政権交代前の頃に、世の裏表の仕組みを完全に理解するには 宗教の研究から逃げる事はできない!と思い立ち、思い切って調べ初めると、、、 まずはユダヤ教から:ここが既に大いなる間違いの元であった そして、どうしてこの様な恐ろしい宗教が誕生したのか??? その原因を究明するためには、さらには古代文明や古代宗教にまで遡る必要があった。 そこから時代に沿って順番に紐解いていくと、、、 半年程でキリスト教の何たるかを大体理解できたのである。 後はそれを「客観的事実」に基づいて検証していくだけ: 「恐れ多い」といえば日本人にとっての「皇室」とは、 心の拠り所にしている人が多い、という配慮から、 皇室を持ち上げる様な文章を、このサイトに一時期、配置していた。 …しかしそれは「皆様の夢を壊したくない」という「配慮」に過ぎなかった。 そういう方向性でもない限り、日本人の団結は困難であろうと考えていたのである。 しかし色々な事実が判明した今現在においては、 むしろそういう「依存心」こそが日本民族の足枷になっているのだと、 確信したのであるから。  だから「自分が天皇である!と考え行動せよ!」というのは 非常に極端で、ある意味、危険な要素をも含む文章なのだが、 日本人のDNAに深く刻み込まれた洗脳を解く鍵であると思っている。 ピラミッド式・中央集権的社会構造の危険さと脆さ: 非常に優秀な人物が一人いるだけでは、簡単に取り込まれてしまう。 でも、それに匹敵する位に優秀な人物が沢山いれば、 さらには全世界に散らばって存在していれば、そう簡単には崩せない、 極めて単純というよりもこれは基本中の基本の防御法です。 そういう「それに匹敵する位に優秀な人物」が一人でも増えていけばいいと、 【世界共通一次試験】の設問を考えてきた訳なのでした。 何が根本的な問題なのか?何が解決法になるのか?を理解していけば、 必ずや「人類共通の敵」の存在に気付く筈なのです。 そうなればもう同志ですから、 もはや国家という枠組みや人種や民族に拘る必要も無い訳です。