体育について良く理解すれば、あらゆる物事が良くなっていく
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体育について考えよう!

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作成日:2019/3/19、7:53 更新日:2023/02/15 22:07


料理の次に大事な「体育」について、完全に理解し、実践を続けていく事が、貴方の人生をより安心・安全・確実なものにします! 周囲に惑わされる事無く、常に基本に立ち戻る事が肝要です!

体育とは何か?

“病気を予防、さらには自己治癒させ、健康的で健全な生活を営む事”
を目標とした、
身体と心を鍛え育てるための各種教育と、その実践。


体育の目標の優先順位:
  1. 病気を予防する!
  2. 病気を自己治癒させる!
  3. 身体能力を鍛える
  4. 鍛錬に耐える事で心を鍛える
  5. 身体を健康にし、心も健全にする!。


体育の一番の目標は、良い成績を収める事でも、良い記録を出す事でもなく、まずは
病気にならない身体を作り上げる、という事です。
この「要」を常に忘れずにいれば、脇道にそれてしまう事もありません。

「身体能力を向上させる」を目標としてしまうと、ドーピング薬物や遺伝子操作などで向上させようと目論む人物が必ず現れます。
鍛える」、これを目標とすべきであり、それはつまりは苦しみに耐える事であり「楽しい」とはならない場合がある、という事です。

「職業病」というものがあります。殆どの仕事は全身を左右不均等に動かしますから、長く勤務を続けていく過程で必ず体調に不調をきたしてしまいます。そこで、その歪んだ全身を元の自然な状態に戻すための運動というものが必要となってきます。「体育」というものには、そういった効果も期待されています。


(続きます)


スポーツとは何か?

ところで、スポーツとは何か?スポーツという物の本質を良く良く理解しておけば、罠に入り込む事が無くなります。

  • 「ただの娯楽:レジャーに過ぎない」。
  • 「八百長をも含む」。
  • 「賭博をも含む」。
  • 「健康を害する動作や要素が含まれる場合がある」


「スポーツ」を無理やり「体育」に近付けようとする事には無理があります。
何故ならスポーツと賭博・八百長とは絶対に切り離せない一心同体の関係にあるからです。

「体育」と「スポーツ」とが交わる領域は確かにありますが、
本質的に全く別物である、と考えておく方が無難です。
特に教育を職業とする人でしたら、明確に区別ができていないといけません!


(続きます)

スポーツ障害

スポーツには「勝敗」というものが絡む場合があり、それにより、危険な各種動作を行います。

  • 玉を投げる
  • 玉を打つ
  • 玉を受ける
  • サッカーボールを蹴る
  • 野球のバットを振る
  • ゴルブクラブを振る
  • バレーボールでアタック後に片足から着地する
  • ボクシングで相手のパンチを受ける


これら不自然な動作はどれも、全身の左右のバランスを著しく損ない、身体の怪我を誘発するものです。
スポーツ障害から身を守るためには、スポーツをしない、これが一番です。

特に道具や器具を用いた運動が危険な事が理解できますね。

バレーボールでアタック後に片足から着地する:片手でボールを打った姿勢では、空中で体の軸が傾いています。この状態から着地すれば、例え両足同時に着地したつもりでいても必ず片方の足に重い衝撃が圧し掛かります。
この動作を何年も続けていけば、その先には必ずスポーツ障害が待ち受けています。

特に「利き腕」「利き足」に頼る動作が危険です。「右利き」「左利き」状態を左右均等に切り替える事ができる特殊な人であれば問題は少ないですが、それが実際にできる人は殆どいないでしょう。


(続きます)

スポーツ障害になりにくいスポーツ

  • 単純な運動である
  • 体衝撃度が軽微な運動である
  • 全身運動である
  • 全身を左右均等に動かす運動である
  • 道具や器具を使用しない運動である


左右均等に行う事が絶対前提の:柔軟運動、ストレッチ、ヨガ、筋トレ、

道具や器具を使用しない運動:ウォーキング、マラソン=長距離走、短距離走、水泳(片息継ぎクロール除く)、ローインパクトダンス、

道具や器具を使用しても比較的安全な運動:縄跳び、跳び箱、


こうして見ていくと、スポーツクラブにおいて行われる運度には、スポーツ障害になりにくいエクササイズが多い事に気づきます。
健康維持管理において、そういったいわゆる「フィットネス」と呼ばれる運動が推奨されるのは、そのためです。

スポーツの語源に迫る

最近、英語の復習をしていてわかった事:英単語の辞書に出てくる「語源」とは何ぞや???
学生時代は点数取りに追われ、全く気にも留めていなかったというか時間に追われ発音同様に敢えて無視していましたが、
やはり手抜きは禁物でした(青春の後悔?いやいやこれから取り返します!)

英語の起源とは、フランス語にあり、フランス語の起源は古代ラテン語にある。
古代ラテン語は、イタリア半島周辺を発祥の地としている。

イタリア半島周辺の言語 → 古代ラテン語の誕生 → フランス語の誕生 → 英語の誕生


いや〜、驚きというか何というか、そういう歴史の流れだったんですね・・・、
私が、ただ何となくイタリアやフランスに憧れるのは実は、というかやっぱり、あの周辺がヨーロッパ文明の発祥であり、西洋音楽もまた、あの周辺地域が重要ポイントなんですね。

「スポーツ」「SPORTS」の語源もまたラテン語にありました!
古代ラテン語の「de・portare」= 「de:離れる」+「portare:運ぶ、働く」=「働く事から離れる」

古代フランス語の「desporter:気晴らし、楽しみ」に変化

つまりスポーツの語源とは、「働かず、気晴らしに楽しむ娯楽である」、となります。
この語源が過去現在のスポーツの本質というものを正しく言い当てています。
どんなに一生懸命サッカーボールを運んでも、それは本質的に言えば「仕事をしていない」事になります。

ただの娯楽であればまだ無害だったのですが、そこから「賭け事」が絡む様になり「有害」となってしまいます。
サッカーなどは、くじ(賭博)と一体化した「有害図書」ならぬ「有害運動」といえましょう。
プレー開始前から「イエローカード提示」どころか「レッドカード」提示ですぞ!!!

ここが、「カタカナ言葉の落とし穴」という訳でした、チャンチャン。

学外スポーツ活動の危険性

生徒を地域団体と交流させるという「教育答申」の落とし穴:特にスポーツの場合は危険そのもの!

イタリアやフランス、ドイツにおいては、学内でのスポーツの授業やスポーツ部活動は少ないというか殆どないらしい!
つまりスポーツ発祥の地であるが故に、「スポーツとは娯楽である」と完全に割り切っており、
スポーツ活動は学外において行われているのが現状の様です。

しかし、これら国々は結局はスポーツ賭博が盛んなのであり、
学生が学外でスポーツを行うが故に、大人の社会人からの影響で学内よりもさらに危険な環境に放り込まれるのでは?
という私の推測は、ヨーロッパの現状から見れば、その通りだったのだといえます。

「スポーツ賭博による収益から捻出される援助金で運営されている地域スポーツ団体」で行われるトレーニングですから当然、スポーツ賭博という環境に打ち勝つ事を前提とした練習内容になりますね。
それがどれだけ危険な環境であるのか?瞬時に御推察いただきたく存じます。

学外スポーツ活動が増えると:
スポーツにのめり込む学生は、よりスポーツにのめり込む様になり、
スポーツが危険なものであると理解している学生は、スポーツにのめり込む学生を見て、よりスポーツから距離を置く様になる、


・・・とにかく、学内・学外に関わらず、賭博と一体化したスポーツを子供が学生が行う事は危険である、
と考えておけば、とりあえずは安全です。



(続きます)


【世界共通一次試験:設問2019】どうして「体育の日」を「スポーツの日」に改名してはいけないのか?その理由を詳しく説明せよ!

この序列方程式で充分かと?

「スポーツ = 賭博 = 八百長」

「“各種運動の勝敗優劣判定”のある所に“賭博”があり、そして“八百長”がある」

「賭博 → 労働生産意欲能力の減退と社会の退廃化 → 国力の減退」


つまり、
「スポーツの日」にしてしまうと、その日が「賭博の日」となってしまうのです。
「スポーツの授業」としてしまうと、その授業が「賭博の授業」となってしまうのです。
「スポーツ大学」としてしまうと、その学校が「賭博を教える学校」となってしまうのです。

応用:
「スポーツクラブ」としてしまうと、その施設が「賭博を推奨する施設」となってしまうのです。しかし、
「フィットネスクラブ」「体育倶楽部」などとすれば多くの問題が回避できますね。

「賭博を教える学校」:賭博推進を経済の視点で研究する授業を行っている呆れた学校が実在しています。
経済=偽札獲得はできるかもしれませんが、国力を衰退させる研究を行っている事と全く同義なのです。

色々な所で説明していますから、ここで敢えて詳しく説明すべきかどうか迷いますが、
「模範解答」の様なものを現在準備中です:

スポーツには「釣り=環境破壊」「競馬=賭博」「競輪=賭博」「競艇=賭博」「野球=賭博」「サッカー=賭博」が含まれるが、
体育にはそれらは含まれない。何故なら体育とは健全なる精神を育むものであり、環境破壊や賭博は健全なる精神を阻害してしまうものであるからである。

何事においてもそうですが、「カタカナ言葉」というものには、多くの場合、罠が隠されています。
それは何故か?大陸文化というものは、様々な民族が混合し争い合う事で、逆に民度が低下し、精神年齢までもが低くなってしまうからなのです。その理解が不十分なまま安易にカタカナ言葉を使用してしまうと、とんでもない過ちを犯してしまうんですね。

スポーツ賭博を社会的に容認している国々とは、その殆どが大陸国家であり、キリスト教民主主義国家です。
最近アメリカにおいてスポーツ賭博を合法化する動きがありますが、何事も決してアメリカなどの大陸国家に追随してはいけません。

国家民族間紛争:互いに騙し合い足を引っ張り合う事で心の進化が停止どころか退化していくのです。
時に相手の文明を破壊消去し続けてきた事で、文明の進化ですら停止・そして悪い方向へと「推移」してきたのです。
その結果が今の破滅的な現状です。

どうしてこのちっぽけな日本の方が民度が高いのか?海が防波堤となり、堕落した大陸文化と距離をおいて生活できるからです。交通や情報が流通化した現代においても、その恩恵は引き継がれていきます。

今後、この世界は「堕落した人類」と「堕落から自分を防御できる人類」との二極化がより明確となっていく事でしょう。

国は人民を堕落させようと、ありとあらゆる罠を仕掛けてきますから、自分で自分を防御するしかないのですね。皆様の御健闘をお祈り致します。



(続きます)


スポーツ科学という名称について

「スポーツ」と「科学」という危険な二つの単語を併記しており、さらに「体育」という単語が含まれておりません。すると、
  • 相手に勝つために化学の力を利用しよう = ドーピング、薬物、遺伝子操作・・・
  • 賭博スポーツ精神論 = メンタルトレーニング = 要するに八百長
  • 賭博ビジネス経営論 = 賭博振興 = 社会破壊

などといった、非常に危険な領域に入り込んでしまう危険性があります。
そういう危険な内容は公立学校ではなく民間専門学校という特殊な枠の中で行う方が比較的害が少ないでしょう。

「スポーツ健康科学」という名称であればホンの少しマシです。

「科学」には「化学」が含まれます。「化学」には「ドーピング」「薬物療法」「遺伝子操作」等が含まれます。
放置しておくと「スポーツ科学」=「賭博・ドーピング・薬物・遺伝子操作」という方向性に必ずなってしまいます。
よって「スポーツ」も「科学」も含めない方が安全なのです。

「スポーツ科学」も、「スポーツ健康科学」も全て「体育・健康・学」つまり「体育健康学」と名称変更をするべきですね。

???ところで、お気付きになられましたか?「文部科学省」は元の「文部省」に名称を戻さないといけないのです。


【世界共通一次試験:設問2019】「体育の日」を英語で翻訳せよ!

現在のところの解答:

体育の日:「day of "Physical and Mental Education for Healthy Life"」

体育の略語:「MPE for HL」

もっと相応しいものがあるかもしれません:


(続きます)


障害者スポーツの是非について

「偽善」と呼ぶに相応しい「勘違い」行為です。身障者にとって何が一番必要か?それをヨクヨク考えないといけません!

障害者にとってスポーツとは無意味どころか危険なもの

上記の通り、スポーツとは身体に全く問題のない健常な人でも、スポーツ障害を起こしてしまう場合が多々あります。

では、身体に障害のある人なら、どうでしょうか?不安定な体をかばうが故に、健常者よりもさらにスポーツ障害を起こす危険性が高いのです。

スポーツ好きでギャンブル好きの健常者の価値観でいえば、「障害者の人達はスポーツやギャンブルができなくて可愛そうだ。だから彼らにも我々と同様に、平等にスポーツやギャンブルをさせてあげよう。」などと考えてしまうのでしょうが、スポーツやギャンブルとは単なる娯楽であり、いやむしろ実生活において一切必要がない物であり、あれば逆に危険なものですらあります。

障害者にとって必要な支援とは?

身障者にとって何が一番必要か?それは、全身を元通りの状態にまで治癒させていく事です。そのためには、スポーツではなく、「体育」を行う必要があるのです。

具体的に言えば、リハビリ、整体、ストレッチ、ピラティス、ヨガ、ウォーキング、適度な日光浴目的の野外散歩(日常生活の転倒防止のため)、調整目的の筋力トレーニング、プールウォーキング(負荷軽減目的)、水泳、などです。

体が正常な状態に近づけば、心も正常な状態に戻っていきます。
それが、「身障者にとって一番必要なこと」=「普通の日常生活に戻れるようにするための支援」「就業するための支援」です。

障害者スポーツとは税金獲得のための利権構造に過ぎない

「障害者スポーツ」「障害者」「障害者」と連呼するだけで、国から莫大な補助金が出ます。それが一種の利権となり、金銭(税金横流し)獲得目的の偽善行為そのものとなっているのです。この単純なカラクリを、しっかりと見抜き、決して騙されずに正しい道を歩みましょう!そうすれば、「障害者オリンピック」というものが、いかに愚かな物なのかに気付くでしょう。

スポーツというものは、根源的に言い切ってしまえば「何をも生み出さない」「目的の摩り替え行為」に過ぎないのです。
精神的にも肉体的にも追い込まれている身障者の人々であれば、そんな無駄な事にうつつを抜かしている暇はない筈です。
(やるべき事が他に無限にある!)


(続きます)


続きます

世界支配者層にとって「スポーツ」とは、人民を堕落させ、政治から目を背けさせ、管理しやすくするための道具です。
相手に反感を持たれにくい方法で人民を取り込むための常套手段なのです。
さらにはスポーツを振興する事で、ギャンブル収益を増やし「遊ぶための金を楽して儲ける」手段も兼ねています。
世界の歴史や現在の状況をヨクヨク理解しておけば、どうしてこんな反感を持たれる様なページをわざわざ作ったのかを御理解いただけるでしょう。

「健康的に生きる」、この言葉の真の意味について、ずーーーっと考え続けています。
もう殆ど答えは出た、とおもいきや、そう簡単なものではない様です、
そう、永遠に考え続けていく、という事ですね・・・


【予告】【世界共通一次試験:設問2019】どうして「文部省」を「文部科学省」に改名してはいけないのか?その理由を詳しく説明せよ!
→ヒント出し過ぎで、これじゃ「AO入試」以下ですな(^^)





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